[スタッフインタビュー#2 桃子さん] 『桃ちゃんの生き方』

[スタッフインタビュー#2 桃子さん] 『桃ちゃんの生き方』

よく飲み、よく笑い、歌が上手ですぐゲストと仲良くなる桃ちゃん。そんな彼女の生き方聞きました。

(インタビュー日:2021年6月17日)

話し手<br>桃子(ももこ)さん
話し手
桃子(ももこ)さん

1999年生まれ。福岡県出身、長野市育ち。福岡の高校を卒業後、ワーキングホリデーでオーストラリアに渡り約1年滞在。高校生の時訪れた京都、住んでいた福岡、そして豪でゲストハウスやホステルに縁があり、現在1166バックパッカーズのアルバイトスタッフ。

聞き手<br>菅田詩乃(すがたしの)
聞き手
菅田詩乃(すがたしの)

1987年生まれ。宮城県仙台市出身。2021年4月から岩手県奥州市在住。同年7月初旬まで“宿のスタッフにインタビューするヘルパー”として1166バックパッカーズに滞在。


ワーホリ、めちゃめちゃよかった!

菅田詩乃(以下、菅田) ももちゃんを見ていて思っているのが、大人っぽいなということ。実年齢を聞いたときに、まだそんなに若いんだと思って驚いたの。

桃子(以下、桃) そうだったんですね!

菅田 どんな経験をしてきたのかなと思っていたのだけど、1166バックパッカーズで働く前は何をしていたの。

桃 直近では、オーストラリアのメルボルンにワーキングホリデー(以下、ワーホリ)で滞在していました。期間は、2019年12月から2020年の12月まで。帰国後はいちご農家で働いたり、知り合いのカフェを手伝ったり。2021年4月に1166バックパッカーズに来ました。

菅田 ワーホリはずっと行こうと思っていたのかな。

桃 もともと、高校2年生の夏休みに海外に行こうと思っていたんです。高校生になって近くのラーメン屋でアルバイトをしたのですが、めちゃくちゃ働くのって大変なんだなって思って。消耗品にバイト代を使いたくなくて、ずっと貯めていたんです。何に使うかってなった時に物ではなくて、自分のためになることに使おうと思って「海外に行きたい!」と。結局、高校2年生では行けずに断念したのですが、その時から海外に興味はあったんです。行けるタイミングになったので、ワーホリに参加したという感じですね。

菅田 ワーホリはどうだった?期間はコロナ禍だよね。

桃 がっつりコロナウイルスの流行と重なってしまって。ワーホリに参加したらオーストラリアではカフェ等で働きたかったんですが、レジュメ(履歴書)を提出してみたものの、「○日後から街がロックダウンになる」という連絡を受けて雇えないと言われて。現地でお金を貯めるという方向に切り替えたんです。Facebookで求人を調べまくって、なんとかファーム(農場)の働き口を見つけて。電話したら、今週すぐ来られるのかって。数日後に州間での移動が禁止になるタイミングだったので、バタバタと引っ越しをしました。

菅田 滞在先はどうだったのかな。

桃 行った先のファームでは、仕事をくれるラリーという男性が、30人くらい滞在しているホステルのオーナーでもあって、そこにわたしも滞在していました。彼は変わり者で、時間やお金にもルーズで。でも人情味があって、わたしは不思議と彼と通じ合うものがありました。ラリーとの出会いは自分の中ではすごく大きいですね。

菅田 具体的にはどんな仕事をしたのかな。

桃 ラリーが色々な農家さんとつながっていて、そこにわたしやホステルの仲間が派遣されるようなイメージですかね。始めはマンダリンピッキングといって、木によじ登ってオレンジを収穫して、カンガルーみたいに袋に入れました。草取りもやったし、大工さんの手伝いとかも。色々なんでもやりましたね。

菅田 ももちゃんにとって、ワーホリに参加して、ラリーに出会って、ファームの仕事をしたことはよかったこと?

桃 めちゃめちゃよかった。ホステルに住んでいた仲間が30人もいて、国籍もバラバラで、中国人、韓国人、フランス人、ドイツ人、イギリス人等色んな人がいて、毎日英語使って。毎日非日常で自分がしたかった経験が出来ました。危険なこともあったけど、それも含めてわたしには楽しかった。

菅田 じゃあワーホリでの経験は、ももちゃんの軸になるような経験になったのかな。

桃 軸か・・・。軸ってなんですか。

菅田 なんだろう、この経験があったからこそ今の自分がいるということかな。

桃 なるほど・・・自分のなかでは、オーストラリアに行く前に、もっともっと大きいことがあって。

菅田 それは聞いてもいいのかな。

(夜の商店街でストリートライブを行うももちゃん。昔からストレス発散で歌っているようだ。)

軸になる出来事<小学生〜中学生>
思春期の自分が思春期の研究

桃 わたし、小中高校生の途中まで、経済的にも、家族にも支えられて、結構恵まれた環境で生きてきました。両親はわたしが幼い頃に離婚していて、そのコンプレックスはあったと言えばあったけど、それ以上にお母さんが、子ども3人平等に時間をかけて、愛して、尽くしてくれていました。

菅田 大切にしてくれたんだね。

桃 小学校、中学校も私立に行かせてくれて、その学校が変わっていて。5教科の勉強はあまりしないのですが、自分たちの興味のあることを調べる“プロジェクト”という時間が一日の大半を占めていました。目標を決めて、計画して、準備して、実行するんです。

菅田 面白い学校だね。

桃 中学生の時、わたしは心理学に興味があったので、思春期の心を調べようと思って。

菅田 自分も思春期だから体感として気持ち分かるもんね。

桃 思春期の心の成長と教育心理学等を調べました。また裏のテーマですけど、当時学校の教育方針等に少し不満があったので、わたしの研究で改善されないかなーって思っていました。プロジェクトを通じて訴えかけていましたが、結局方針は変わらなかったんですけど。一方的に周りを変えようとするのではなく、まずは自分が柔軟になり視点を変えることが大切だと学びました。

菅田 中学生で、自分が変化することが大切だと分かったんだね。

桃 そんな経験を小中学生ではしました。

軸になる出来事<高校生>
楽に生きる

桃 小中学校が特殊だったので、高校は公立高校を選びました。制服も校則もテストも初めてで、すごく新鮮でした。

菅田 新しい世界に触れた感じだね。

桃 はい。それから・・・実は高校1年が終わって、高校2年になったばかりの4月~5月に、お母さんが「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」という難病になってしまったんです。意識はずっとあるけど、毎日毎日どこかの筋肉が衰えていってしまって、最後は呼吸をするための筋肉も動かなくなってしまうんです。それで長野に住み続けるのは難しいと判断して、お母さんの実家のある福岡に引っ越すことにしたんです。

菅田 そうだったんだ・・・引越し先の福岡には親戚の方がいたんだね。

桃 6月に引っ越したので、本当にバタバタでした。長野で通っていた高校は一度退学して、次の高校を決める時間もなく引っ越しました。ここからが中々しんどかったなぁ・・・。

菅田 ・・・うーん、そうか・・・。

桃 ALSは基本的に治療薬がないので、入院してもいいのですが、お母さんが自宅で過ごしたいと言ったので、自宅介護という形になりました。お母さんと一緒にいたかったので、わたしも賛成でした。ケアマネージャーさんと今後の介護の話をするのはわたしが担当でしたが、全然気持ちが追いつかなくて。並行して高校を探して、受験して、定時制の高校に入りました。

菅田 当時16歳だし、分からないことだらけだよね。定時制の高校にはいつ入学したのかな。

桃 同じ年の10月ですね。でも引っ越してからの4ヶ月間高校に行けていなかったので、入学の時点で1年留年が決定していました。そのショックも大きかったですね。

菅田 お母さんのこと、自分の高校のこと、どちらもやらなくてはならなかったんだね。

桃 そうですね。生活環境ががらりと変わったので、常に気が張っていました。介護は毎日決断の連続で、色々とあきらめることが多かったですね。お母さんの意志を尊重したい気持ちと、自分の本当の気持ちの間で悩みましたね。その後、お母さんが亡くなって、そこから塞ぎ込んでしまって正直あまり覚えていないんです。

菅田 もちろん明るくはいられないよ・・・。

桃 そこから生と死があまりにも近くに感じられて、“なんで人は生きているんだろう”、“なんで人は死ぬんだろう”って考えていました。それに加えて、これからどう生きていけばいいんだろうって。その時から人はいつ死ぬか分からないんだから、自分が後悔しないように生きたいと。そしていかに心を楽に生きられるかと考えるようになって。そうしたら、だんだん開けてきたんですよね。

菅田 ももちゃんの中で、心を楽に生きるってどういうイメージなんだろう。ある意味、楽、というのは大変なことはしない、努力が必要なことはしないという意味にも取れるけど、そうではなさそうだよね。

桃 なるほど。うーん、例えばこれ苦しいなって感じた時にその答えが見つかったら、すごく“楽”。

菅田 苦しく感じる、理由とか原因とかが見つかると“楽”、ということかな。

桃 お母さんが闘病中、なんでこんなに苦しいんだろうって感じたことがあって。その時古本屋である本に出会ったんですけど、それが今の時点での自分の答えなんです。(自室に取りに行くももちゃん)

(『求めない』加島祥造 小学館)

菅田 わたしもこの本好き。

桃 読んでいたら、涙が止まらなくなって。どうして苦しいかは、お母さんが病気になって、毎日体のどこかが動かなくなっていって、また動かないかなとか、生きていてほしいとか、周りの人がもっとお母さんに優しくできないかなとか、自分がもっとお母さんを理解できないかなとか、自分や周囲の人や神様に・・・すごくすごく求めていたんです。だからきついんだって気づいて、その“気づき”で楽になれたんです。

菅田 うん、そうかー・・・。

桃 さらにこの本最高なんですよ。あるページに書き込みがあって、ご老人の字で「足るを知る」って。すごく響きました。当時思ったのは「わたしはすごく愛情をもらって育って、経済的に周囲に支えてもらっているし、お母さんもその瞬間生きている、その幸せに気づいていなかった、足るを知っていなかった!」ということ。その時、肩の力が抜けて。この本が、今のわたしの軸かもしれないです。求めないで生きると楽だなぁって。もちろん、そんな風に生きられない日だっていっぱいあるし、なんならそんな日のほうが多いんですけどね。けど、ふと疲れたなって時は、この本に帰れるから出会えてよかったなぁ。

菅田 大事な本だね。

桃 お母さんが病気にならなかったら、“求めない”ということも、“生と死”なんかも絶対に考えていないし、自分とこんなに向き合わなかったと思います。辛かったけど、その経験は自分にとって必要なものだったと最近は思えるようになりましたね。

これからのこと
福祉への学び

菅田 長野に帰ってきてどうかな。

桃 今はすごくほっとしています。やっと「帰ってきた、ただいま」と思えて。体調もすごく良いんです。福岡の親戚も支えてくれて、何かあったら必ず助けてくれて。アルバイトなので、心配させてしまっているのですが、自由にさせてくれているので、恵まれているなぁって思っています。感謝の一言です。

菅田 これから長野で暮らしていくのかな。

桃 もっとしたいこと、行きたい場所があって。明確な理由はないんですけど、京都に小学生の時から魅力を感じているんです。長野での高校時代は、京都の大学のオープンキャンパスに行くこともありました。ちなみに生まれて初めてのゲストハウスが、その時京都で泊まったゲストハウスです。まだしばらく長野にいますけど、自分の中で一区切り付いたら、京都に行けたらなって思います。

菅田 それはもしかしたら進学かなぁ。

桃 それもありですね。色々な道があると思っています。興味があるのは、グリーフケア(遺族に寄り添って回復をサポートする取り組み)。わたし自身、大切な人を亡くす喪失体験をして、その経験やその時の気持ちと共に生きて行くことが大事だと思っていますが、それってものすごくエネルギーが必要なんですよね。自分もいつか同じような経験をした人の助けになりたいけど、今はまだ早いと感じます。

菅田 支援側になるには自分のタイミングがあるよね。

桃 もし大学に行けるのであれば、そんな福祉の分野を学ぶのもいいかなって思います。心理学にも興味があります。

菅田 方向性は定まっているんだね。

桃 職業として形になるまでには時間がかかるとは思うんですけど。お母さんも、子ども達の悩みを電話で聞く活動の支援員だったり、亡くなる直前まで通信制の大学で心理学の授業を受けていたんですよね。

菅田 お母さんが福祉の分野で活動している方だったんだね。

桃 そんな姿を見ていたので、自分も興味があります。支援側になるためにも、まずは自分と向き合って、力を抜いて、タフになりたい。よくケラケラ笑ってるから、なにも考えてないでしょって言われるんですけど、それくらいがちょうど良いと思っています。色んなこと吸収して、色んな考え方を聞いて、自分に合うものを見つけて楽になって、いつか誰かの心を楽にするサポートができればなと思います。