求められていることを履き違えない

 週4回~5回くらい、決まった時間に事務仕事をしにゆくカフェがある。流石にその頻度だと、顔を覚えられるのも早かった。で、今朝のお話。

 私が自動ドアを入った瞬間に、カウンターの中ではショートサイズのドリップコーヒーがマグに注がれ、私がカンターにたどり着いた瞬間にはそのコーヒーが出され、「○○円です、カードでどうぞ」と言われる。一瞬、このコーヒーが自分に用意されたものだと認識できず、一瞬の間を開けてしまったが、「あ…ありがとうございます」と言い、(いつものようにカバンからくクレジットカードを出す間がなかったために)「paypayでも良いですか?」と聞いた瞬間、カウンターの中の女性は一瞬怯んで、会計方法を変えたことにより女性を怯ませてしまった自分を反省しながら、私はコーヒーを受け取った。

 

 席に着き、振り返る。私はあまり良い気分ではなかった。それを分析する。カウンターの中にいた女性スタッフはきっと、(あ!いつもの人きた。絶対ショートサイズのコーヒーなんだよね)という具合に用意してくれたのだろうけれど、もしかしたら(あ、こいつコーヒー1杯で長居するひとだわ。話したくもないわ、さっさとコーヒーだしてしまおう)だったかもしれない。それがどちらかわからない理由の根源は、そこに「コミュニケーションが存在しなかった」ことだと思う。もしかしたら、場所によってもっとコミュニケーションを必要としていない瞬間が私にもあるかもしれない。例えば自動販売機で飲み物を買うとき、例えばカフェでただ並びで座った人。そんなタイミングでコミュニケーションは求めない。ただ少なくとも今朝はそうではなかった。

 誤解のないように言うと、私は自分がお客の立場でも商売をやる中でも「お客様を神様」だとは思っていない。だから店側が謙る必要はないと思っている。ただ、お互いに気持ちよくその瞬間を過ごすには「(互いに)相手を思いやるコミュニケーションが大切」だと思っている。

それにはやはり、互いの何気ない挨拶があったり、間であったり、ある程度互いの時の流れを邪魔しない察しが必要だと。

 自分の宿でも、良かれと思って、あるは無意識のうちのこちらの行動が、相手に「むむむ」と思われていることがあるかもしれないな、なんて考える朝です。難しいね。

]]>