「みんな20代、どう働いていた?」

(今回はめっちゃ自分の話です…)

20代後半のスタッフとのMTGだったり、個々のスタッフと話すなかで、何度も頭に過ぎることがある。それは、自分が彼らの年齢だったときに仕事に対してどう向き合っていたかということ。

今自分は40才で自営。40才の頭で、40才の経験値で、それと同等のものを20代のスタッフに求めるのは完全に間違っていると思う。それでも、もう一歩関わって欲しいとは思う。自分は、20代のころ、仕事に対してどんなモチベーションで、どのくらい真剣に、どのくらい必死に勤務先のことを考えていただろう、と自分の20代の10年間を振り返ってみた。

<水族館時代 20〜23才>

私の場合、アルバイトで一番長かったのはハタチころから3年勤めた水族館。大学も単位が足りていたので、途中からはフリーターのように勤務していた。水族館の勤務は個人・団体客の誘導や水族館の代表電話応答。それよりも面白いと思っていたのは、時々派遣される隣の商業施設。飲食の博覧会でアルバイトをまとめるような事をするのだけれど、フードコートにいるのが楽しかった。とくに混雑時に席を探している家族連れに空席を用意するというシチュエーションがピークタイムは次々と現れ、テトリスのように人数を椅子に当て込んで行く。無事に確保できれば喜んでいただける。加えていうと代表電話とってたくらいだから、混雑状況から周辺観光、水族館館内の展示生物のことだとかだいたいのことは案内できる。動ける案内所。自分が顧客の立場ときに、こういうスタッフが混雑したフードコートにいればいいよなってほんとに思ってやっていた。振り返れば任されたこと以上のことを返したいと思って働いていたけれど、とは言えタイムカードを切れば仕事のこと全く考えていなかったと思う。

<現地ガイド時代 23~25才>

その後は海外で現地ガイドとして働く。バスのステップオンのガイドだったり、下車観光のときに観光地をぐるり案内するような。バスの車内では歴史やら生活やら山の話を片道3時間くらいしていたと思う。あの時は仕事中に恥をかきたくないから、休みの日も分厚い歴史の本とか(しかも英語)読んでよく勉強した。とは言え、それはあくまで自分が恥をかきたくなかったからで、会社に対しての愛着だとか、会社がどうこうという気持ちはなかったと思う(ごめんなさい)。

<編集時代 26才>

その後はまた海外で、編集の仕事。これはアルバイトというよりも、丁稚奉公的な感じで、給料というより寸志だった。仕事としてはとっても面白かった。やりたいことはたくさんあって、書くことだけでなく広告の撮影やら配本やら、なんでだったか忘れたけど乗馬とか、とにかく色々と経験もさせてもらった。それでも社長とそりが合わなくって、ゴタゴタあって退職した(話はそれるけれど、今思えば、若くして海外で会社立ち上げたあの頃の社長にはとてつもないプレッシャーがあったんだろうな、とちょっと理解できる)。

<ホテル勤務時代 27〜30才>

日本に帰ってきてから上高地のホテルで正社員として勤務。今の自分があるのは、ここで学んだことがあったからと言ってもいい。(開山中は)ほとんど休みなく働いていたので、休みの日に何をしていたかほとんど記憶がないけれど、勤務中も「いかにゲストの名前と顔と部屋番号を記憶するか」を自分に課して記憶力のトレーニングをしたり、(玄関先で靴を預かっていたんだけれど)客の服装から靴を当てる(そこには一定の法則がある)という想像力を鍛えたりしていた。

今振り返ってみてわかったことは、その現場現場で、スキルとして何かを得ようと意識してはいた。加えて、(勝手に)これあればいいじゃんと思えばやってみてた(それを許してくれていた上司に感謝)。一方で、「会社のために!」という気持ちで働いたことはなかった。

つまり、今 1166バックパッカーズで勤務してくれているスタッフにも「宿のために!」という気持ちを持ってくれというのは無理があるということかもしれない。ただ、「ここで働くこと、在籍することで何かを得よう」というモチベーションは持ってもらいたい。そしてスタッフが何かをやりたいと思ったときに、とりあえずは好き勝手やって見せてあげる。それがないと、仕事を楽しんでくれないんだろうな。

同じように今、自分の周りに多くいる、その世界でバリバリ仕事をしている人たちは、20代のころどうアルバイトなり正社員なりで仕事と向き合っていたんだろう。その頃から100%の力を注ぎ込んでいた?サボってた?楽しんでた?そうでもなかった?そういう話を聞きたいなぁ、って思った。

ちゃんちゃん。

飯室でした。

]]>