リアルな「場」が機能しない今。
1166バックパッカーズを休館にして2週間。長野市でひとりめのコロナ感染者が発表されたころだった。あのとき休館の判断をした理由は、なんとなく違和感があったから。旅人がこんな状況化でもきてくれたことが嬉しかった。その一方で、今の時期にほんとうに来てもらっていいんだろうか…、という不安もあった。何も言わずに宿を開けるということは「ぜひきてください」と言っているのと同じ。でも、それでいいのだろうか、と。その違和感があったのに加えて、数字的なものも不安だった。ここからどんどん状況は悪くなってゆくだろうし、そうなったときに来るか来ないかわからないお客さんを待ち、そこに人件費をあてがうとして、それをいつまでやったらいいんだろう、と。(ただ、きちんと説明の上、自己の判断のもと開けるという判断をしている宿主もいる。例えば帰国できなくなった海外勢の受け入れだとか、リゾートバイトなどの切り替わり時期で住処を失った人の受け入れだとか、シェルター的な使い方だとか。常に主は何かしらの判断をしないといけなく、そこの後ろには精一杯の判断があって。だからその決断は見守って欲しいし、見守られて欲しいと思う)
休館から2週間。状況は刻々と悪化し、長野市での感染もどうみたって拡大傾向。そんななかで、スタッフを集めてミーティングをした(オンラインで、とも思ったのだけれど、雇調金の関係でスタッフから印鑑をもらわないといけない書類があったので、リアルに会うことになった)。それぞれに掛け持ちのアルバイトに行きつつ精一杯の自粛をして。テイクアウトのベントうを皆で食べると「久々に他人の作ったもの食べた!」と声が漏れ、「久々に誰かと喋った!」と明るい顔になり。
今、毎日のように「場」について考える。まず短期的なこと。場を継続させるために少しの売り上げをたて続けなければならない。その一つがオンラインストア。というよりも、売り上げ的には今はこれしかない。そしてその売り上げに頼りながら、頭のなかでは中長期的なことを考える。この休館中にこそやらねばならぬのは「場」として1166バックパッカーズを必要だと思ってもらえるようなやりとり。ゲストとのやりとり、スタッフとのやりとり、そして自分自身とのやりとり。
開業して10年。近県にはスペックがよく安価な同業他社が増え、加えてオリンピックのデフレの渦。子育てをしながら日々アルバイトを雇って街場のゲストハウスを運営し続けることに、今までの10年と同じやり方では経営自体が難しくなってきたなとも感じていたので、この休館はひとつ大きく梶を切るために与えられた課題なのかもしれない。
おそらく「場」として考えたときに、コロナの前には戻れないし、戻らなくっていいと思う。もっと「場」としての価値をあげることによって、同業他社との競争などに悩まずに「場」を継続してゆきたい。
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