朝を歩く
そういえば、旅先でも朝の街を歩くのが好きだった。街角に溜まったゴミ、シャッターの閉まった店前で石畳に水を流しデッキブラシで磨く人、出勤中なのか同じ方向に急ぎ足で歩く人たちがまばらにいる。
民俗学者の柳田國男氏は、「ハレ」は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、「ケ」は普段の生活である「日常」を表している、としたが、旅先での朝の光景は「ハレ」の観光地で感じる「ケ」の部分、つまり、まだよそ行きの顔ではなく「暮らし」の時間。それはガイドブックには載らない時間であり、そこに自分が身をおくとうのはその土地に片足を突っ込めたような気がした。いくらグーグルマップのストリートビューでその土地の小路まで覗けるようになり、インスタグラムで美しい観光地の写真が見れたとしても、そういう「ケ」の時間、殊にその時間の空気までは伝わらない。だからこそ、人は旅をする。
旅の仕方は人それぞれではあるが、自分は自分の旅の仕方が好きだった。それは、とにかく朝から歩くということ。そしてプランをたてないということ。昔は今ほど調べるツールがなかったというのがあるが、とにかく歩いた。行き先に知らない土地を記したバスよりも、信じられるのは自分の足。だから歩くしかなかった。ひとり知らない街を歩く中で街を観察する。歩きながらいろんなことを考える。その道が危険かどうかは自分の感覚を信じる。そして時々その辺のひとに地図を開いて確認する。間違ったことも教えられるが、孤独に歩く中で誰かと話せる接点と思えば、あってても間違っててもどっちでもよい。そんな風だった。
今朝、まだ観光客が動き出す前の門前を歩いた。蕎麦屋のショーウィンドウでは新そばを打ち始める職人、街路樹にイルミネーションを巻きつける工事の人、駅までのバスを待つ住民、通りをホウキで掃く女性。そういう時間を歩くのはやはり気持ちが良い。ぜひ、そういう朝の「ケ」の時間を楽しみに泊まりに来て欲しい。
飯室でした。
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