「セレンディピティ」

新型コロナウイルスが経営に影響し始めて早くも7ヶ月が経過。自分のところの経営もまだまだどうなるとこやら…という感じではあるが、時々、近所の老舗旅館さんで申請やら割引方法なんかのお手伝いをさせていただく。その後に160年(もっとかな)以上の歴史ある旅館で、おじちゃんおばちゃんのお話を聞かせてもらいながらお茶をいただく。

「こんなにお客さんこなくなったことなんてないよね〜」なんて奥さんはいうけれど、長い歴史のなかで浮き沈みは多々あったとお察しする。そういう中でも立ち続けているお宿に尊敬の念しかない。

1166バックパッカーズの書類上の誕生日は2010年10月28日。つまり、本日で10才。前述の旅館さんの歴史からしたら、完全にひよっこである。そうはいっても、この10年のなかで良い時、悪い時を少しずつ経験した。東日本大震災ではインバウントの旅行者が消え、自粛から日本人の旅行も多くはなかった。オリンピックデフレで近隣の宿泊施設の価格が下がり苦しい時期も長かった。そして7ヶ月も続くコロナ禍。一方で6年に1度の善光寺さんのご開帳は特需であったし、昨年の台風18号のあとは閑散とするかと持ったがボランティアの方のおかげでベッドが埋まった(ので、一部を支援金に回した)。

両方を少しずつ体験して思うのは、浮いているときは経営的には安定しているが、日々のゲストとのやりとりで手一杯になる。そのとき果たして必死に脳みそを使っていただろうか?と。何かトライする心の余裕も時間もなかったように思う。

オリジナル商品を作って、オンラインストアを開設したのもこのコロナ禍中。県内の宿と一緒になってスタンプラリー企画を立ち上げたのもこのコロナ禍中。外部の方から紙面の連載というチャンスをいただいたのもこのコロナ禍中だったからかもしれない。正直いうと、今頭の中にあってまだ着手できていないことは多々ある。もっとやれるアイデアはあって、それがうまく回れば確実に「長野市の安宿」としてではなく、「1166バックパッカーズ」として予約をしていただけると思っている。コロナ禍もその後も生き残って行ける。「ピンチはチャンス」だ。

今年は特に周年祭はやらずに、現役のスタッフと近所の特に近しい人たちと宿で食事でもしようぜ、という話だったが、タイミングよく元スタッフが泊まりにくるなんて話になったり。気づけば新旧9名のスタッフ(とその家族)が駆けつけてくれた。自分自身はオーナーとして彼らに何もできなかったし、できない。加えて、基本人見知りの性格なので、人間関係うまく立ち回るのは得意ではない。けれど、1166バックパッカーズという場所で彼らはきっと日々よき出会いを体験し、それは今の生活や考えになにかしらの影響があっただろうと推測する。

英語に「serendipity セレンディピティ」という言葉がある。これは日本語にイコールで結び付けられる単語がないが、つまりは、「予想外の良き発見、出会い」とでも言おうか。人生のひととき、生き急がずに、この "セレンディピティ" を楽しめる環境に身を置くというのはとても豊かな時間だと思っている。私自身が彼らとの出会いににより考えの幅が広がり、とても豊かな時間を体験している。昨夜は慌ただしく個々とゆっくり話す時間がなかったけれど、彼らの人生がこれからもっと豊かなものとなりますように。

飯室でした。

https://1166bp.com/

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