私の思う「場のあり方」

 気づけば年度があけて初めての更新。コロナ禍という言葉をSNSで覚えた。渦、という感じとはちょっと違う。調べてみたら"わざわい"という漢字で『新型コロナ禍(か)』と読むらしい。文字数制限のあるツイッターでは端的使いやすい。

 先日、お誘いを受けて、近所でグラフィックデザインとその周辺のことを生業としているコトト社の瀧内さんと、松本で栞日という”ちいさな声に眼をこらす、本屋あるいは喫茶店”を営んでいる菊池さんと一緒に、「場のあり方」というテーマでおしゃべりをした。フェイスブック上で「話聞きたいな」と名指しで言い出してくれたのは瀧内さん。その日から小気味好く日取りが決まり、1週間後には開催と合いまった。こういうスピート間、やりたいという熱意が高いままに当日を迎えられてとても気持ちがいい。

 当日は新年度初日、平日の朝。そんな忙しいであろう時間であり、またほとんど告知らしい告知をしていなかったにも関わらず、50名の方がオンラインでその様子を見守ってくれた。そういえばここ数年、イベントごとに人を集めるというに難しさを感じていたんだけれど、瀧内さんは「イベントのように一時的に人を集めるのは比較的やりやすい。それよりも場を良い状態でキープすることが難しい」そんなことを口にしていた。

 zoomを使った配信がスタートする1時間ほど前に我々は集合したわけなんだけれども、口にするのは「車どこに止めました?」とか「出身どこでしたっけ」とか「大学っていま休み?」とかそういうこと。時々、「コロナ」や「自粛」「不要不急」なんて言葉が出てきても「あぁ、あとで話すことなくなっちゃうね〜」「この話題まだ早いよね〜」なんて。

 2時間のトークは見てくださった方はわかるだろうし、ご覧いただいていない方にも何かしらの内容紹介があとあとされるような気がするので、ちょっと置いて置いて。

 今日は、モニターの向こうにいた暖かいひとたちとのやりとりを。「(こういうコロナ禍のなか)我々は(経営に難しさを感じている小規模の)お店に対してどういうアクションができるんでしょう?」と聞いてくださった方がいた。ちょっと泣きそうになった。我々店を構えているものも、店を一歩出れば客になる。この日モニターの向こうで聞いていてくれた人たちも場を持っている人たちかもしれない。そうでなくともどこかに所属して、多かれ少なかれこのトンネルの中にいるかもしれない。それにもかかわらずそんな風に考えてくれる人がいるということはとても勇気を与えてくれる。私も立ち止まって、今自分の周りの大切なお店やひとはどう考えているだろう、何を必要としているだろう、私は何ができるんだろう、そう考えてみた。

 こうして集まった50人を超える人のなかにはきっとそれぞれの頭に思い描く大切なお店があるのだろう。小さな店舗は(大きな店舗だってそうかもしれないが)、例えば珈琲が飲めるだとか、本を買える、宿泊ができるというだけでなく、もっと本質的な「(居)場所」として存在している。コロナ禍の、暗く長いトンネルのなかでは一層その居場所が恋しくなる。場を持つものとして、必要なひとに、必要なタイミングで「(居)場所」を提供したい。1166バックパッカーズがあることで心が穏やかになる。知らない世界に一歩踏み出す勇気がでたり、今の場所に止まる決断ができたり、気づいていなかった自分の本心に向き合えたり。

 ひと時でも早く、そして堂々と「いらっしゃい」と言える日がきて欲しい。

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