"日常" が日常に戻る日
大きなバックパックを背負った海外の方を自転車で追い越す際、あぁ、やっぱり、と思った。時々泊まりにきてくれる、国内在住の海外ゲストだった。
実は昨夜、日付を跨ごうとするころに「この間の雨で電車が動いていなかったりで、友達の家にたどり着けないから、この後泊まれる?」とメールがあった(彼は日本語がペラペラだ)。時間も時間、というのはあったけれど、それ以前に、昨夜は久々の満室だった(まぁ、実を言うと満室と言っても各部屋が個室扱いになっているだけなわけなんだけれども)。今からでも予約できそうな宿をいくつかピックアップしてお知らせするに留まった。
だから自転車で追い越す際に後ろ姿で、そうだろうな、と思ったという次第だ。自転車を押しながら彼と並んで歩く。聞くと彼は深夜に長野駅に到着して、とある公園で手持ちのハンモックを吊るし休んでいたらしい。彼のキャラからして、まぁなんともなしにそういう旅ができるのは知っている。
今日は友達のところにとのことだったが、聞くと、前回1166バックパッカーズに泊まった際に宿で出会った旅人の自宅にお邪魔するらしい。こうして宿という場が偶然の交差点となり、その後も再会が繰り返されるのはゲストハウスの経営者としては本望。このコロナ禍中、"黙る" "距離を取る" "集まらない" そういうワードが当たり前になっている。昨年は非日常だったが2年目ともなると日常、そういうものだ、それでいいんじゃない、仕方時ないよね、こういう状況でできることを考えないとだよね、なんて思ってきていた自分自身に少し腹がたった。
なんのためにゲストハウスを運営しているのか。何を思って始めたのか。コロナの前まではどんな出会いがここにあったのか。そしてその出会いが人生にプラスになった人がいるのではないか。毎日何かしらの化学変化があって、そこがゲストハウスの醍醐味ではないのか。
(そんなことを、善光寺さんのスタバで書いていたら、その二人がやってきた。宿に立ち寄り、スタッフに、織絵さんはきっと仲見世のスタバですとでも聞いたのだろう。)
このコロナ禍中、我々ゲストハウスを営むものの頭に、ドミをやめるという選択がよぎった瞬間はあったと思う。事業再構築の補助金概要に「新分野展開、業態転換、事業・業種転換、事業再編又はこれらの取組を通じた規模の拡大等、思い切った事業再構築に意欲を有する中小企業等の挑戦を支援します」とあるように、そもそも宿泊業を離れるというような決断をした人もいると思う。経営判断としてそれは間違いはないと思うし、皆その答えに行くつくまでに何度も悩んだ挙句の決断だろう。
ただ、1166バックパッカーズとしては、はやり宿でこれまで起こってきた "日常" が日常に戻る日が来ることを願い、またその景色が見たい。その景色を見ていない新しく入ったスタッフたちにも見せてあげたい。そんな風に思う。
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