町の過去を想像してみる

 最近、長野市の歴史に関する本を意識的に手に取るようにしている。県外出身の私が長野市民になって11年と少し。自分が知っている長野市はたったその11年と少しの部分。それも、その月日のなかでもごく限られた世界。それにもかかわらず、時々、宿のお客さんをお連れして町歩きをする。まぁ、それはそれでいいのかもしれないし、そういう移住者目線の町歩きもアリだと思う。一方で、面白みに欠けるような気がしていた。まぁ、そんなこんなで、図書館で長野市の歩み的な本を借りて見てみる。

 今日は市立図書館新たに3冊を借りた(余談だが、市立図書館が宿から徒歩5分かからないというのはかなりありがたい)。

『長野市の110年』((作者:長野郷土史研究会 編 / ‎出版社:一草舎)

『昭和の初め、長野の町』(出版社:光風舎)

『西長野百年誌』(作者:西長野百年誌編さん委員会 編 / 出版社:西長野町百周年記念事業実行委員会)

 こういう類の本を読んでいると、毎日自転車で通過する街の景色が違って見える。例えば視界に入るなかの一番古そうな建物を見てみる。この建物はいつころからあるのだろう。今は誰か住んでいるのだろうか。空き家であるとすれば、この建物にとって一番に賑わっていた時代はいつころなんだろうなど。そして駐車場を見ると、ここはいつから駐車場になったのだろう。駐車場になる前はどんな建物が建っていたのか。建物を想像して、その当時の街並みを勝手に想像する。古っぽい看板を掲げた民家の前を通る。今は民家だが、以前はこの家も商売をしていたのだな。そうかこの通りにはそういう類の家が多そうだぞ。きっと以前は買い物に人が集った通りなのかもしれないな、など。

 話は変わるが、私自身は兵庫県の尼崎市で生まれ育った。幼少期に引っ越しはしたが、物心ついた(おそらく)4歳ころから大学生まで同じ家で育った。実家を出て20年近く経つが、今戻れば「ここにはこれがあった」だとか「ここには道があった、なかった」なんてことを思うのかもしれない。当たり前だと思っていた景色は日々の変化のなかで少しずつ違ってゆくが、数年、数十年経ってからその変化に気づくのかもしれない。

飯室でした。

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