居場所をつくり合う旅人

 『居場所』というのは、「あなたはここにいいんですよ」という他人に容受されることであったり、「あなたがここにいてよかった」と他人から必要に思ってもらえる場所、ということかと私は思う。つまり第三者が介している。「いやいや、そうではない私のサードプレイスはスタバだ、あそこで一人コーヒーをいただくのが…」というケースもあるのかもしれないけれど、それもスタバで働く人たちに受け入れられてこそコーヒーを啜れる。

 自分のこの直近の20年くらいを振り返ったとき、高校生ころまでは自分にとって自宅と学校以外で、自分が属する場所はなかった。大学になってアルバイトという居場所ができた。自分を必要としてくれる場所だ。その後、海外で就職し友人と大きな一軒家をシェアした。そこは「ここにいていいんだよ」と他人に受け入れてもらった居場所だった様に思う。

 旅にもよく出た。旅先というのもひとつ。ゲストハウスのドミトリーを予約し、泊まりにゆく。予約しているわけだからもちろん宿の人も私のことを待っているわけだし、「ここにいていい」場所だ。そこで同じ境遇の、つまりひとり旅の面々と出会いラウンジでワインを開けたり、ボードゲームをする。宿は初めて会ったもの同士が、互いに「ここにいていいんだよ」と思い合える場所のひとつだ。居場所を必要としている者が、同時に他者の居場所を作っている。その「ここにいていいんだよ」という糸が無数に往来していて、それが日中一人歩き疲れた旅人にとって、暖かい居場所となる。

 

 今日はそんなことを考えていた。

 今日の長野市は一日雪が舞っていました。いよいよ冬の到来です。

 飯室でした

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