曖昧な雇用

 昨日、 "ゲストハウスで働くひとたちの話" というタイトルで「ヘルパー」という働き方について書いた(ぜひそちらもご覧いただきたい)。

 2014年の夏ころだったが、数時間の労働と引き換えに住食を負担してもらう「ヘルパー」という働き方を一括りにして「ブラックバイト」とし、その当時は今ほど多くなかったゲストハウスの多くに(匿名の誰かから)ブログのURL付きのメールが何通も送りつけられることがあった。内容としては、「○○ゲストハウスはヘルパーというブラックな雇用体系をとっている」みたいな内容で。1166バックパッカーズはそのころは前投稿に書いた理由ですでにヘルパー制度はとっていなかったけれど、それでもそのメールは来た。相手が匿名というのもあり、不愉快だったのを覚えている。ただ一方で、それを書いている人は、ヘルパーとして働いた経験のなかで、何か嫌な思いをしたのかな、と。その頃、ヘルパーを募集しなくなった宿も増えたと思う。

 最近、雇用・働くということに関して「曖昧さ」が許されないような気がする。ただ純粋に、自分がその分野に興味があり「手伝ってみたい」と思うことや、知らない世界をのぞいてみたいから「手伝わせて」と思うこと、友人の(本業ではない)特技や趣味を生かして「ちょっと手伝ってもらえる?」とか、(本業ではなく副業の)駆け出しの駆け出しくらいの段階のひとに「じゃぁ、これやってみる?」と言いづらくなっている。

 自分が26才くらいだったときとある出版社で少しばかりのお小遣いをいただきながら数ヶ月働いたことがある。草案・企画書の書き方を教えてもらい、見よう見まねで取材をし、形にならない物を書き速攻でアカを入れられ、本物のライターさんが上げてくる原稿を見せてもらい、カメラマンの撮影に同行して自分も広告のモデル撮影をさせてもらい、カメラマンから指導も受けさせてもらった。自分の仕事がどれだけ会社に利益をもたらしていたかを考えると、いただいたお小遣いは十分すぎるものだったと思うし、時間で給与をくれと言えるほどスキルには程遠かった。興味のある分野の大人にただついてまわって、その大人がみている景色をみた。そういう世界を感じたことは今とてもプラスになっている。

 昨日の投稿でも書いたけれど、自分としては「きちんと双方の(ここ大事)合意があり、その合意が継続できているならば」そう言う働き方はもっと前にでてきていいのではないか。人生のひととき、曖昧なところに身を置いてみるというのもいいのでは、と思う。

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